まさかの坂の上で暮らすことになるなんて
人生には三つの坂があると言われます。
上り坂、下り坂、そして「まさか」。
私が長崎に移住したのは、この三つ目の「まさか」に導かれたのではないかと今では思っています。
会社員として働いていたころはそれなりに充実していました。
残業も数字を追うことも苦ではなく、平坦な安全な道の上を淡々と歩いているような感覚でした。
このまま定年までこのような平凡な穏やかな日々が続いていくのだろうと考えていましたし、特にこのような日々に不満もありませんでした。
そんなある春の昼休み、「まさか」は一通の封筒で届きました。
会社の都合・・・・。リストラって本当にあるんだ・・・。しかもそれが自分に降りかかるとは。
噂は前からありましたが、それが現実になるとは全く考えていませんでした。
「コロナ禍以降の業績悪化により・・・」と上司から伏し目がちに「申し訳ない」と説明がありました。
その日の帰り道、自宅にまっすぐ帰る気にもならず、駅近くのコーヒー店でぼんやりとスマホを眺めていました。
これからどうしよう。
次の仕事を見つけないといけないな。
有休を消化しながら次を探そうか。
次の仕事に就く前にちょっと旅行でもしようか。
どこ行こう?
スマホでマップを出してぼんやり眺めていました。
ふと指が止まったのが、長崎でした。
どうして長崎だったのか 今でもうまく説明できません。
ただ、日本地図の西の端にある、少し「果て」っぽい感じに心のアンテナが反応したのだと思います。
何の知識もありませんでしたが、坂の多い街だというイメージがありました。
「まさか」に足元をすくわれた今の私には、西の端にあるこの坂の街がなんだかぴったりな気がしたのです。
そしてもうひとつの“まさか”は、オフィスで偶然見かけた一冊の専門書でした。
そこに載っていたのは、 「長崎の急坂構造と都市生態系における局所風速の影響」 という、なんとも無骨な論文データ。
港を囲むすり鉢状の地形。
坂道ごとにくるくる変わる風の抜け方。
地図を平らにすることを拒むような、この街の立体的なロジック。
その文章を読んだ瞬間、胸の奥で何かが動いたのです。
「この風を直接感じてみたい」
そう思ったら、もう居ても立ってもいられなくなり、長崎を旅することにしたのです。
長崎から戻って4ヶ月後、退職をした私は長崎の高台に小さな家を借りました。

坂の上の暮らしは、予想外の景色で満ちている
窓を開けると、長崎港が一望できます。
早朝、白い大型客船が静かに入港してくる姿に、思わず手を止めて見入ってしまいます。
あの船には全世界のいろいろな国の方が何百人と乗船して旅をしていると聞き、長崎って本当に国際港なのだなと感心したりしています。

今の仕事は、近所の小さなお店でのアルバイト。
会社員時代に比べれば収入はぐっと減ったけれど、 毎日決まったパソコンの画面に向かう生活から離れ、風や光の移ろいを感じながら過ごす時間は、今の私にとって何物にも代えがたい宝物です。
思えばあの頃は時間に追われ、毎日何かにせかされるようにバタバタしていました。
かんちゃんという“まさか”の家族
そして、かんちゃんの存在。

引っ越してすぐ、路地裏の坂道で運命的に出会ったの男の子。
正直、あまり動物が好きではなかった私ですが、そのうち玄関のドア前に現れるようになり、居ついてしまった猫ちゃんです。
近所の方の話では飼い主のいない野良ちゃんだということでした。
話かけると返事をするように「にゃーん」と鳴いてくれるのです。
次第に可愛いくなり、「これも何かの縁」とかんちゃんと家族になることにしました。
動物病院で1歳の男の子とわかり、家族になるために必要な健康診断と薬、育て方を教えていただきました。
意外にお金がかかるんだなと驚きながらも、せっかく家族になるのだから、お互いに元気に楽しく暮らしたいなと考えていたので、相談して良かったなと思いました。

かんちゃんは、家の中で一番心地いい風が通る特等席を私よりもよく知っています。
夕暮れどき、私の隣でじっと客船を眺めているかんちゃんを見ていると、 この子もきっと何かの「まさか」で流れ着いたのかもしれないと、勝手に親近感を覚えてしまいます。
長崎に来なければ、きっと出会うこともなかった家族です。
まさかの坂の上で、今日も新しい景色が生まれていく
長崎に来て、もうすぐ2年になります。
まさかの坂の上で暮らす毎日は、上り坂なのか下り坂なのか、まだよくわかりません。
長崎の坂はきついし、息が切れるし、汗もかきます。 その分、てっぺんから見える景色はとても美しいのです。
人生の坂も、たぶん、そういうものなのではないでしょうか。
予期せぬ「まさか」の風に導かれてたどり着いたこの場所で、 かんちゃんと一緒に船や夕焼けをながめる毎日。
坂の上の暮らしは、今日も新しい愛おしさでいっぱいです。
